存在論的政治

出版社:航思社
出版日期:2014-2-7
ISBN:9784906738069
作者:市田 良彦
页数:567页

书籍目录

第Ⅰ章 ネグリのほうへ——「真の政治は形而上学である」
トニ・ネグリを読むために
帝国とマルチチュード
ある唯物論的な笑いと美
政治を追い詰めるレーニン主義者スピノザ
歴史のなかの『レーニン講義』、あるいは疎外なきルカーチ——ネグリ『戦略の工場』解題
「我々はみなネグリ主義者である」、あるいは分離の論理の行方
第Ⅱ章 様々なマルチチュード——「一」は割れずに緊張を生む
リスク人民戦線
いくつかの存在論的空虚について
貨幣の帝国循環と価値の金融的捕獲
主体から主体――政治において、我々はみなシュミット主義者であるのか?
今日における金利生活者の安楽死
第Ⅲ章 ヨーロッパという賭金——「主権」の上空と底で政治は闘われる
亡霊の政治——「ヨーロッパの再生」を問う
論理的な暴動とマルチチュディネスクなコギト
現実主義的革命家と種別的知識人
ヨーロッパの〈新左翼〉は?
〈現代アナーキズム〉あるいは〈実践〉の迷走
第Ⅳ章 ランシエールの傍で——語る「私」をめぐって「階級闘争」がはじまる
Verkehrung(転倒/逆転)の冒険——ジャック・ランシエールの政治的存在論
〈無知な教師〉はいかにして〈僭主〉に教えたか——ランシエール『アルチュセールの教え』訳者解題
スキャンダルとしての民主主義——ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』
「すべては政治的である」のか?——ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』
第Ⅴ章 フーコーとともに——反牧人革命は来るのか
〈実践〉概念の相克――フーコー最後の問題系と六八年
〈我々とは誰か〉 あるいはフーコー最晩年の〈外の思考〉
理性の限界を「散逸」させよ――ミシェル・フーコー『カントの人間学』
間奏
代書人ボブあるいは〈誤訳〉
ローリング・ストーンズと共産党
第Ⅵ章 日本のなかで――「1968」と「2011」を跨ぎ、「社会的なもの」に抗する
「決めない」政治と金融資本主義
社会は防衛しなければならないのか
社会的なものの行方
六八年革命は「存在」しなかった――小熊英二『1968』
〈文化〉果てるところに待ち侘びる〈党〉――絓秀実『吉本隆明の時代』と長原豊『われら暇疵ある者たち』を横断する
『資本論』から何を再生させるべきか――スラヴォイ・ジジェク『終焉の時代を生きる』
反乱が事故として連鎖反応的に生起した年をどう捉えるか――スラヴォイ・ジジェク『2011』
2011の反乱 その敗北のあとに――想田和弘監督『選挙2』
エピローグ
「国家の破滅は言葉遊びにすぎない」——マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督『フォンターナ広場:イタリアの陰謀』

作者简介

存在論的政治。すなわち、我々の生のあり方全般を深く拘束すると同時に、
種別的にひとつの政治であることを手放さない政治。
それは、生そのものを哲学的に考察すればことさら主題化しなくてすむ政治ではない。(…)
存在論的政治は、どれだけ持続するのか分からない「世界の今」の傾向に寄り添おうとする。(…)
下部からの決定力が政治に特定の枠のなかにとどまることを許さないから、
存在論的政治は固有の歴史をもつ。
政治について「本質」から「歴史」へと視点を移動させ、
「歴史」的分岐点を表層と深層のあいだに見定め、
そこに「実践」を定位させることもまた、
存在論的政治は求めている。(…)
存在論的政治は、万人の救済と転生を信じる一個の狂気である。
ネグリ、ランシエール、フーコーなど現代思想の最前線で、そして9.11、リーマンショック、世界各地の反乱、3.11などが生起するただなかで、生の最深部、“下部構造”からつむがれる政治哲学。『闘争の思考』以後20年にわたる闘争の軌跡。


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