《朝鮮通信使》章节试读

出版社:岩波書店
出版日期:2007-9-20
ISBN:9784004310938
作者:仲尾 宏

《朝鮮通信使》的笔记-第2页 - 序 章:東アジア世界の再編と壬辰倭乱(文禄・慶長役)

信長・秀吉の「天下一統」と東アジア世界の変動
中国:1368年朱元璋がモンゴル民族の元王朝を追放、明を樹立し、漢民族国家の再興を果たした。
朝鮮半島:1392年李成桂(イソンゲ)が高麗王朝を打倒、新たに朝鮮王朝をたてた。
日本:1338年足利尊氏が征夷大将軍に任じられ、
南朝勢力vs武家勢力 
足利義満:「京都将軍家」として王権を確立 1392年南朝合一=吸収
「冊封」体制への組み入れ
中国大陸、朝鮮半島、日本列島 政権交代 ほぼ同じ時期
明の対外政策:
中華と夷狄(いてき)
中国皇帝に対して「上表文」と「朝貢」を求め、それに応じて周辺諸民族の長に対する「国王」であることの「诰命」(承認書)と「印信」(印章)の授与、正朔(暦)の頒賜はんし(分け与え)と回賜(皇帝からの贈り物の分け与え)
周辺の君長にたいして官号・爵位を与え、君臣関係を結び、宗主国と服属国という関係になる。

《朝鮮通信使》的笔记-第1页 - はじめに

一衣帯水の間柄:
:対馬の北端から朝鮮半島の南東端まではおよそ五十キロにも満たない。
唇歯輔車(しんしほしゃ)
対立と殺戮(さつりく)、憎悪と蔑視、不信と抗争
「通信」の語の持つ意味:
通信:信(よしみ)を通わしあう
「燕行使」(北京には燕京という雅号がある)、または「事大使」(大国に使える)
「通信使」、「信使」、「来聘使」、「聘使」、「韓使」、「朝鮮国使」、「朝貢使」(来朝)
「朝貢使」(X)双方がすくなくとも建前として、互いが対等で信義を通わす相手として認識していた。
四つの窓口:
1609年(慶長14)薩摩が武力で琉球支配を実現した。荒野泰典のいう「四つの窓口」が江戸時代に存在していた(『近世日本と東アジア』)という理解は、まだそれほど一般的な知見とはなっていない。しかし、近世日本の実像を確かめるためには欠くことのできない重要な視点であることを指摘しておきたい。「開国」「文明開化」vs「鎖国」「旧習頑迷」
注意:「鎖国令」と名付けた法令が出されたことはなく、19世紀になってからケンペルがその著『廻国奇観』の中で用いた用語を蘭学者・志筑忠雄が「鎖国」と翻訳したことから、江戸時代=「鎖国」的状況として認識されてきたにすぎない。対馬の「朝鮮口」:通行と通商の二つの交流があった。
朝鮮通信使を知る意味:
文化的刺激、情報交換:武士や学者階層+町人や農民。
各藩の藩政史にも大きな影響を及ぼしている。
朝鮮通信使の往来が途絶えた19世紀半ばになっても絵画や出版物に朝鮮人が描かれたり、各地の祭礼や民具などにその風俗が伝承されていた。
江戸時代という過去の国際交流で会っただけでなく、今日最も近いすぐ隣の国と民族を理解し。共生の道を探るための大きな示唆を与えてくれる。
本書の構成
誠信:互いの信義を確かめ合う、両国の国書にも用いられる。朝鮮通信使の意義は誠信という言葉につきるといってよい。
序章:壬辰倭乱(文禄・慶長役)による東アジアの大きな変動に注目
第1章:後の国交回復への足どりと被虜人送還などの戦後処理。
第2章:その処理がほぼ終わって文字通りの「通信使」が復活したこと、また「大君」号に見られる日本側の自他の国家意識に触れた。
第3章:徳川政権の国内政策である「ご威光」と朝鮮通信使の関わり、江戸城での来聘行事に見られる対等関係のありようなどを具体的にのべた。
第4章:通信使の沿路での送迎と接待の実相、各藩の負担と労役
第5章:通信使一行と各地、各藩での文人墨客との文化交流、民衆の通信使実見の見聞録などを取り上げた。
終章:どうして通信使の時代が終わりを迎えたのか、近代のものとされている「征韓論」や植民地支配への道のりの根っこがどこにあったのかを考える視点をのべた。


 朝鮮通信使下载


 

外国儿童文学,篆刻,百科,生物科学,科普,初中通用,育儿亲子,美容护肤PDF图书下载,。 零度图书网 

零度图书网 @ 2024